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先日同年代の人とカラオケを楽しむ会があり皆で歌いましたがなぜかあなた様の美声が思い出されてたまらず立ち寄りました。プロ顔負けの声に心を打たれました。戦争の悲惨さが美声とともに伝わりました。
熊さん、いつもいつも思い出していただき恐縮です。励みになります。
正に紅孔雀さんの録音の金字塔ですね。最早軽々しいコメントなど書けない気分です。 この曲の特徴は属音で終わるところにあり、いつまでも続く「終わらない曲」な感じがするところです。そのあたりに雅楽旋法の影響もあり、実は簡単なようでいて、現代人にとって「音階認識」の難しい歌だと思います。 私の祖父は日露戦争に曹長として出征したのですが、百年以上たっても、この歌をこれだけ歌いこなす人が存在することを知り、天国で感謝していることだと思います。祖父に成り代わりお礼を申し上げます。
kyuurinoshiyahaさん、こんにちは。フルバージョンは素人カラオケだからできる技かもしれませんね(笑)。プロ商売ではちょっと長過ぎてCDへの収まりがよくないですから、、、。「終わらない曲」というのは、子供や兵隊さんが合唱したりする時、気の済むまで歌えるというような工夫なのかもしれませんね、、、。ご祖父さま、改めて日本のために御苦労さまでした(合掌)。
有り難う御座います。、最後まで、、歌っていただき、🙇
お聴き頂きありがとうございます。
戦友の歌を聴くと言葉のひと言ひと言に胸が痛みます。母の弟は海軍で送られて来た写真は大人数の為自分の子供が何処にいるか分からないと祖母が嘆いていたと母から聴いた事がありました!こんな悲しい歌は本当にあった話しなのですね。
作詞は職業作詞家ではなく学校の先生なので、戦争体験を具体的な物語風に歌詞にしていてそれが胸を打つのだろうと思います。
聞いていて涙ぼろぼろであります
Tokuici Sasakiさん、あなたの感情にまで届いたようでうれしいです。ご視聴ありがとうございました。
貴方様と同じで何度聞いても涙が出ます!毎日聴いていますが、若くして亡くなってしまわれた方達本当に日本の為に命を落としてしまい今の日本があるのは貴方達の犠牲のおかげだと思っています!この戦友の歌をなるべく息子達にも聴いて貰い感想を聞いています。
この軍歌聴いていると何故か喜多郎さんのシルクロードのテーマ曲と重なって来ます!あの20年前棺が出る時シルクロードのテーマ曲が流れ涙が止まらなくなってしまったあの気持ちと同じ感じで聴いていました!この戦友は最初から最後まで良く聴いていると戦地へ行かなければならなかった若い方達時代と言えばそれ迄ですが現在の暮らしを味わって欲しかったと考えてしまいます。
同じ歌を聞いても人それぞれに蘇る思いは異なるようですが、反戦、悲壮、哀歓などの気持ちには共通するものがありそうですね。
beni9jyakuさん、こんばんわ! 今日もbeni9jyakuさんの歌声を、楽しみながら聴いております。 「戦友」・・哀愁のおびた軍歌ですが、何となく反戦の歌の感じを受けます。 この歌を聞いていて、思い浮かべた曲が、確かこの翌年に発表された 「水師営の会見」の歌・・この歌は大好きな歌の1つです。 beni9jyakuさんに歌っていただけたら、と思うのですが。
yosio itoさん、こんにちは。日本の軍歌と言われるものの中には、哀愁を帯びて死を悲しむ、世界的な考え方からすれば反戦歌と呼べるようなものも多いですね。「水師営の会見」は私も好きな歌ですがカラオケが中々ないようで探しているところです。フルバージョンは9番までありますので、歌うならフルバージョンでと考えています。そのうちに、乞うご期待。
beni9jyakuさん、こんばんわ! この歌は、なぜだか自分でもよく分かりませんが、beni9jyakuさんの歌声を聴いていると、また聞きたくなります。 心が休まるようで、落ち着きます。ありがとうございます。 これからもこの素晴らしい歌声を聞かせて下さい。
乃木大将とステッセルの〖水師営の会見〗をbeni9jyaku さんの声で拝聴したいですね❗
「ある意味反戦歌と言って良いのかもしれません。ただ、日本人の国民性なのか、これを聞くと悲壮・悲哀を感じる半面、「よーし、俺もやってやるぞ」みたいな気持にもなりますから、この2面性を持っていることが日本軍歌の一般的特徴なのかも知れませんね。」~~~まさに日本軍歌の本質を見事に言い当てたご意見ですね。感服いたしました。
ゼロ戦隼人 さん、お聴き頂きありがとうございます。動画解説にも賛同して頂きありがとうございます。
今ひばりさんの軍歌聴いて終わった所でした。戦友はこんなに長くはないけど涙が出ました。戦地で亡くなった方達は昭和が60年過ぎ迄あった事も知らず、勿論平成の時代も知らず、我が家の息子は軍部が悪かったからといってますが私には分かりませんが、可愛いスーちゃんの歌はちょっとメロディが明るく感じます。
日清、日露、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と戦争には日本国としてのやむにやまれない理由もあったのではないでしょうか。
オヤジの孫全員がお風呂に入れてもらってこの歌を教えてもらってました❤
お風呂で、おじいさんが知っている歌を孫たちに教える、微笑ましい情景ですね。
我が家の義父の弟が教師をしていて昭和17年に満州から学校へ出したハガキが二枚あり出した方は私の実家の方のかただったのでまだその方が健在だと知りそのハガキを届けてあげたら、とても喜んでいました!20年位立ちますが、ここの家では何でも捨てるのが嫌いだったみたいで私もそのハガキを見た時は驚きました
ハガキ一枚にも当時の様子を窺い知る物語があるので当人さんもさぞお喜びと懐かしさに浸ることができた事でしょうね。
どの軍歌聴いても悲しい歌ばかりですが50代の時は軍歌がこんなにあるとは知りませんでした!ただ一曲だけ悲しいはずの軍歌を替え歌で、唄っていた自分が恥ずかしくなります可愛いスーちゃんは他の軍歌に比べるとメロデイが明るく感じるのですが、軍歌を沢山唄っていらっしやる紅孔雀さんからみてそのようには感じませんか?
「可愛いスーちゃん」はどちらかと言えば哀歓調だと思います。渥美清の「泣いてたまるか」に通じるようでもあり、兵隊生活の悲哀を歌ったものですしね。スーちゃんという軽い感じの題名が少し損をしているようにも思えます。
30歳ですが。この歌出会ったのは小学5年でした。ありがとうございます
dragon VAPERS さん、こんにちは。20年前ということはちょうど20世紀末に初めて聴かれたようですね。日露戦争も既に歴史の彼方になってしまったようです。
自分の祖父が満州で闘い。西村連隊長の戦友会にて歌い次がれて私の子守唄に。玄界灘の佐賀に帰れたのも連隊長のおかげで私の命もあることと。
前川さん、お聴き頂きありがとうございます。日露戦争はほぼ忘却の彼方になりましたが、昨今の日本を取り巻く隣国情勢には能天気に構えているわけにはいかないようですね。
戦時中は、歌ってはいけない軍歌でした。戦いの最中に、軍医や衛生兵以外は立ち止まって手当てしてはいけないのです。
脚注にも書きましたが、この歌は厳密には大日本帝国が認めた軍歌ではありませんね。他にも戦時歌謡として同種の歌が数多くありますが、それらも厳密には軍歌ではありません。ただ、私はUPの便宜上、それらもひっくるめて軍歌と表記している次第です。
先日同年代の人とカラオケを楽しむ会があり皆で歌いましたがなぜかあなた様の美声が思い出されてたまらず立ち寄りました。プロ顔負けの声に心を打たれました。戦争の悲惨さが美声とともに伝わりました。
熊さん、いつもいつも思い出していただき恐縮です。励みになります。
正に紅孔雀さんの録音の金字塔ですね。最早軽々しいコメントなど書けない気分です。
この曲の特徴は属音で終わるところにあり、いつまでも続く「終わらない曲」な感じがするところです。そのあたりに雅楽旋法の影響もあり、実は簡単なようでいて、現代人にとって「音階認識」の難しい歌だと思います。
私の祖父は日露戦争に曹長として出征したのですが、百年以上たっても、この歌をこれだけ歌いこなす人が存在することを知り、天国で感謝していることだと思います。祖父に成り代わりお礼を申し上げます。
kyuurinoshiyahaさん、こんにちは。フルバージョンは素人カラオケだからできる技かもしれませんね(笑)。プロ商売ではちょっと長過ぎてCDへの収まりがよくないですから、、、。
「終わらない曲」というのは、子供や兵隊さんが合唱したりする時、気の済むまで歌えるというような工夫なのかもしれませんね、、、。
ご祖父さま、改めて日本のために御苦労さまでした(合掌)。
有り難う御座います。、最後まで、、歌っていただき、🙇
お聴き頂きありがとうございます。
戦友の歌を聴くと言葉のひと言ひと言に胸が痛みます。母の弟は海軍で送られて来た写真は大人数の為自分の子供が何処にいるか分からないと祖母が嘆いていたと母から聴いた事がありました!こんな悲しい歌は本当にあった話しなのですね。
作詞は職業作詞家ではなく学校の先生なので、戦争体験を具体的な物語風に歌詞にしていてそれが胸を打つのだろうと思います。
聞いていて涙ぼろぼろであります
Tokuici Sasakiさん、あなたの感情にまで届いたようでうれしいです。ご視聴ありがとうございました。
貴方様と同じで何度聞いても涙が出ます!毎日聴いていますが、若くして亡くなってしまわれた方達本当に日本の為に命を落としてしまい今の日本があるのは貴方達の犠牲のおかげだと思っています!この戦友の歌をなるべく息子達にも聴いて貰い感想を聞いています。
この軍歌聴いていると何故か喜多郎さんのシルクロードのテーマ曲と重なって来ます!あの20年前棺が出る時シルクロードのテーマ曲が流れ涙が止まらなくなってしまったあの気持ちと同じ感じで聴いていました!この戦友は最初から最後まで良く聴いていると戦地へ行かなければならなかった若い方達時代と言えばそれ迄ですが現在の暮らしを味わって欲しかったと考えてしまいます。
同じ歌を聞いても人それぞれに蘇る思いは異なるようですが、反戦、悲壮、哀歓などの気持ちには共通するものがありそうですね。
beni9jyakuさん、こんばんわ! 今日もbeni9jyakuさんの歌声を、楽しみながら聴いております。 「戦友」・・哀愁のおびた軍歌ですが、何となく反戦の歌の感じを受けます。 この歌を聞いていて、思い浮かべた曲が、確かこの翌年に発表された 「水師営の会見」の歌・・この歌は大好きな歌の1つです。 beni9jyakuさんに歌っていただけたら、と思うのですが。
yosio itoさん、こんにちは。日本の軍歌と言われるものの中には、哀愁を帯びて死を悲しむ、世界的な考え方からすれば反戦歌と呼べるようなものも多いですね。「水師営の会見」は私も好きな歌ですがカラオケが中々ないようで探しているところです。フルバージョンは9番までありますので、歌うならフルバージョンでと考えています。そのうちに、乞うご期待。
beni9jyakuさん、こんばんわ! この歌は、なぜだか自分でもよく分かりませんが、beni9jyakuさんの歌声を聴いていると、また聞きたくなります。 心が休まるようで、落ち着きます。ありがとうございます。 これからもこの素晴らしい歌声を聞かせて下さい。
乃木大将とステッセルの〖水師営の会見〗をbeni9jyaku さんの声で拝聴したいですね❗
「ある意味反戦歌と言って良いのかもしれません。ただ、日本人の国民性なのか、これを聞くと悲壮・悲哀を感じる半面、「よーし、俺もやってやるぞ」みたいな気持にもなりますから、この2面性を持っていることが日本軍歌の一般的特徴なのかも知れませんね。」~~~まさに日本軍歌の本質を見事に言い当てたご意見ですね。感服いたしました。
ゼロ戦隼人 さん、お聴き頂きありがとうございます。動画解説にも賛同して頂きありがとうございます。
今ひばりさんの軍歌聴いて終わった所でした。戦友はこんなに長くはないけど涙が出ました。戦地で亡くなった方達は昭和が60年過ぎ迄あった事も知らず、勿論平成の時代も知らず、我が家の息子は軍部が悪かったからといってますが私には分かりませんが、可愛いスーちゃんの歌はちょっとメロディが明るく感じます。
日清、日露、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と戦争には日本国としてのやむにやまれない理由もあったのではないでしょうか。
オヤジの孫全員がお風呂に入れてもらってこの歌を教えてもらってました❤
お風呂で、おじいさんが知っている歌を孫たちに教える、微笑ましい情景ですね。
我が家の義父の弟が教師をしていて昭和17年に満州から学校へ出したハガキが二枚あり出した方は私の実家の方のかただったのでまだその方が健在だと知りそのハガキを届けてあげたら、とても喜んでいました!20年位立ちますが、ここの家では何でも捨てるのが嫌いだったみたいで私もそのハガキを見た時は驚きました
ハガキ一枚にも当時の様子を窺い知る物語があるので当人さんもさぞお喜びと懐かしさに浸ることができた事でしょうね。
どの軍歌聴いても悲しい歌ばかりですが50代の時は軍歌がこんなにあるとは知りませんでした!ただ一曲だけ悲しいはずの軍歌を替え歌で、唄っていた自分が恥ずかしくなります可愛いスーちゃんは他の軍歌に比べるとメロデイが明るく感じるのですが、軍歌を沢山唄っていらっしやる紅孔雀さんからみてそのようには感じませんか?
「可愛いスーちゃん」はどちらかと言えば哀歓調だと思います。渥美清の「泣いてたまるか」に通じるようでもあり、兵隊生活の悲哀を歌ったものですしね。スーちゃんという軽い感じの題名が少し損をしているようにも思えます。
30歳ですが。この歌出会ったのは小学5年でした。ありがとうございます
dragon VAPERS さん、こんにちは。20年前ということはちょうど20世紀末に初めて聴かれたようですね。日露戦争も既に歴史の彼方になってしまったようです。
自分の祖父が満州で闘い。西村連隊長の戦友会にて歌い次がれて私の子守唄に。玄界灘の佐賀に帰れたのも連隊長のおかげで私の命もあることと。
前川さん、お聴き頂きありがとうございます。日露戦争はほぼ忘却の彼方になりましたが、昨今の日本を取り巻く隣国情勢には能天気に構えているわけにはいかないようですね。
戦時中は、歌ってはいけない軍歌でした。戦いの最中に、軍医や衛生兵以外は立ち止まって手当てしてはいけないのです。
脚注にも書きましたが、この歌は厳密には大日本帝国が認めた軍歌ではありませんね。他にも戦時歌謡として同種の歌が数多くありますが、それらも厳密には軍歌ではありません。ただ、私はUPの便宜上、それらもひっくるめて軍歌と表記している次第です。